墜落日記

ぜんぶ嘘ですよ

不自由

自由という状態は私には向いていないのではないかと感じることが多い。それでも私は自由を求めている。

私の定義する様々な自由の中でその割合を大きく占めるのは、他者の存在を切り捨て、思うままに動き、感じるままに発言するということである。

実際に欲動のままに行動する勇気も元気もない。ただ、他者との会話で自分に絶望する。人間なのだから本当に様々な考えがあることは理解しているし、見えているほんの一部の側面だけで他者を判断することはしたくない。しかし自分も無意識で行っているような他者の行う選別の中に自分がいることを常に意識している。

私は思っているよりも他者の視線に支配され、他者に依存している。自分の立ち位置を理解していることを匂わす保険のような枕詞をつけないと何かを言えなくなる時がある。結局そんなものは攻撃力のない諸刃の剣であり、ただ自傷しているだけなのだ。

ただ、会話における儀式として定着してしまった以上、これらを行わないことこそが息苦しいのだ。私は不自由な安心感を得てしまった。