墜落日記

ぜんぶ嘘ですよ

およそ数十日前までの自分は幸福になりたくて仕方なかった。

欲求を全て叶えるべくした気概を持ち合わせており、それに付随するような行動(努力だと思いたい)もそれなりにしていた。それでも自分の欲が満たされることはなく、格上の幸福に対しヤジを飛ばしながらも徹底的に羨ましがっていた。

しかし4月に入る直前あたりから、自らの欲が思わぬ形でどんどん叶っていった。人生としては好転であるが、自分自身はそれと相反するように気持ちが落ち込んでいくようになった。

あんなに望んでいた幸福であっても、その形に近づくことの恐怖心は拭いきれず、しかしそれを手放したくない矛盾した気持ちに疲弊している。今幸せかと聞かれたら、肯定できない、否定もできない。数十日前の「幸せではない!幸せになりたい!」と回答していた自分の方がよっぽど活き活きしている。

幸福とはなんだろう。欲が満たされることが必ずしも幸福に繋がるわけではないことを知った今、幸福というものが分からなくなっている。

耐え忍ぶことを美徳とする日本人が陥りがちな思想だとまとめることもできるが、日本人である以前に自分であり、自分自身に起こったことであるからこそ、脳みそを動かし自分の言葉でまとめたいのだ。

そして、そんな私を窘めようとしてくる他者に対して、ここまで下がってこいよと窘めることのできる(出来ない)自我を持ち合わせたのだから、書き記したい。私は墜落しながら生き続けたいのだ。