墜落日記

ぜんぶ嘘ですよ

情けないとき

「私いつもこのくらいタバスコかけてるよ」と辛いのが平気というキャラ付けのためにいつもより3倍の量をかけてしまい、辛すぎて全然食べられなくなってしまった時

友達と歩いている時に、完全に自分の不注意で車に少し轢かれ、友達とその運転手にすごく心配されている時

「いや!全然大丈夫です!(笑)」とその場は平気なふりをして、本当はめちゃくちゃ痛くて、服も破れてるのに電車に乗って帰っている時

スイパラに行きその後自分だけお腹を壊し、友達と別行動で私だけトイレにずっと籠ってしまった時

 

 

 

蛍光灯

先日初めて部屋の蛍光灯を変えた。昼間はついていたのに本当に必要な夜に切れてしまい、常夜灯で一晩過ごした。常夜灯の明かりの下で食べる飯は本当に不味く、3口だけ食べて残した。やはり食べ物における視覚情報は大事なのだと考えた同時に、私が常に食べている飯は実は不味くて、視覚情報で味覚が騙されていただけなのではないかと考えたりもした。そしてなぜか心が落ち込んできてしまいその日は早く寝ることにした。

天井の蛍光灯は私の身長では、ベッドの上に百均で買った小さい踏み台を乗せ、そこからさらに背伸びをしないと届かない高さだった。まず蛍光灯がどう取り付けられているかも分からない状態で不安定な台の上で背伸びをし、小さい文字で書かれた説明書と見比べながら作業を行い、取り外すだけでかなりイライラしてしまった。

何とか取り外すと蛍光灯は2種類あり、何がなんだか分からなったため、近くの電気屋に蛍光灯ごと持っていくことにした。小さな電気屋に恐る恐る入り、小さな声で「蛍光灯、、」とだけ言ったら全てを察してくれたおばさんが手際よく「これとこれ!6800円!」と指示してくれた。そして、処分方法が分からず困っていた蛍光灯も引き取ってくれた。本当にただお金を出しただけで全ての目的が達成されてしまい、帰り道はなぜか自信に満ち溢れ、ウキウキで家に帰った。

しかし家に帰ってから絶望した。取り外した時に仕組みは分かったため蛍光灯をセットするところまではスムーズにいったのだが、最後その蛍光灯と天井の上の線を繋げるのが本当に大変だった。背伸びをし、腕にも手にも力を入れ、どんな全身運動だよと思いながら何とかやり遂げた。

ブレーカーを入れ以前よりも明るくなった部屋。これが自立だな。でもとにかく疲れた。二度とやりたくない。一人で生きることは頑張ることだな。いつかプツンと切れてしまうのだろうか。達成感を得たが、何かを失った気もした。

不自由

自由という状態は私には向いていないのではないかと感じることが多い。それでも私は自由を求めている。

私の定義する様々な自由の中でその割合を大きく占めるのは、他者の存在を切り捨て、思うままに動き、感じるままに発言するということである。

実際に欲動のままに行動する勇気も元気もない。ただ、他者との会話で自分に絶望する。人間なのだから本当に様々な考えがあることは理解しているし、見えているほんの一部の側面だけで他者を判断することはしたくない。しかし自分も無意識で行っているような他者の行う選別の中に自分がいることを常に意識している。

私は思っているよりも他者の視線に支配され、他者に依存している。自分の立ち位置を理解していることを匂わす保険のような枕詞をつけないと何かを言えなくなる時がある。結局そんなものは攻撃力のない諸刃の剣であり、ただ自傷しているだけなのだ。

ただ、会話における儀式として定着してしまった以上、これらを行わないことこそが息苦しいのだ。私は不自由な安心感を得てしまった。

 

 

およそ数十日前までの自分は幸福になりたくて仕方なかった。

欲求を全て叶えるべくした気概を持ち合わせており、それに付随するような行動(努力だと思いたい)もそれなりにしていた。それでも自分の欲が満たされることはなく、格上の幸福に対しヤジを飛ばしながらも徹底的に羨ましがっていた。

しかし4月に入る直前あたりから、自らの欲が思わぬ形でどんどん叶っていった。人生としては好転であるが、自分自身はそれと相反するように気持ちが落ち込んでいくようになった。

あんなに望んでいた幸福であっても、その形に近づくことの恐怖心は拭いきれず、しかしそれを手放したくない矛盾した気持ちに疲弊している。今幸せかと聞かれたら、肯定できない、否定もできない。数十日前の「幸せではない!幸せになりたい!」と回答していた自分の方がよっぽど活き活きしている。

幸福とはなんだろう。欲が満たされることが必ずしも幸福に繋がるわけではないことを知った今、幸福というものが分からなくなっている。

耐え忍ぶことを美徳とする日本人が陥りがちな思想だとまとめることもできるが、日本人である以前に自分であり、自分自身に起こったことであるからこそ、脳みそを動かし自分の言葉でまとめたいのだ。

そして、そんな私を窘めようとしてくる他者に対して、ここまで下がってこいよと窘めることのできる(出来ない)自我を持ち合わせたのだから、書き記したい。私は墜落しながら生き続けたいのだ。